境界線 - 器

物質的な世の中で、"形の無いもの"というのは疑心を生み、時に恐怖を与えたりする。


分からないものに対してそういったものを抱くのは、自己防衛として大切な感覚だと思う。

 でも、世界には目に見えないものがほとんどで、目に見えるもの、実体のあるものも、実は目に見えないものに支えられて成り立っている。


例えば、空気。

私達は空気が無ければ生きていられない。

 

様々な目に見えないものが、空気と同じように当たり前に存在している。

そして、それらは全てエネルギーであると、私は考えている。

 

通常空気というのは実体は無いが実感はあって、呼吸をすれば簡単に感じることができる。

それと同じように、当時私は様々なエネルギーに実感が伴っていた。


小さい頃、周りとの境界線が無いような感覚だった。

 体感覚は自然の一部のようで、風が吹けば溶け出してしまいそうだったし、視覚は熱に色彩があるみたいに、全てが色鮮やかにオーラを放っているように見えた。

聴覚は鋭さには敏感に緊張し、優しさには芯から緩んで包み込まれた。

自然の中に行くと一体感を感じ、そこが私の居場所だった。

そこに居る自分よりも、自分の中にある自然が意識を持っているような、海を見れば自分の中の海が、山を見れば自分の中の山が、同じような穏やかさや荒さで同調するみたいな、そんな感覚だった。

大きなエネルギー、愛のようなものが自分の中に流れ込んで来ては、満たされた。

 

又、人の悲しみや怒りのエネルギーも入ってきた。

それは自分の中には馴染むこと無く、感じることはできるのに実感が無いような、感覚的には在るのに、自分のものではないような違和感をもたらした。

 

全ては等しく繋がっているのに、自分の中に入ってくるものは、不平等な感じがした。

それもまた自分にとってとても強烈な感覚だった。

周囲の人の悩みにはじまり、戦争や貧困の現実には、その不平等な感じを痛感させられ、同時に、感じられるのに何もできない、自分の無力さに罪悪感のようなものが込み上げた。

感じているのに、実際は満たされている自分を責めた。

当時は、一歩外に出ると常に感動の渦の中だった。


そういう日々見聞きし感じるものから、いつしか自分の中に″平等″や″調和″といったテーマというか、願いが生まれていて、それは使命感として自分の中に染み込んで馴染んだ。


自分にとって一番鮮明で強烈なそれらの感覚は、打ち明けると疑心を向けられ周囲の誰とも共有することが出来なかった。


使命感を解放する方法を模索しながら、19歳の時に大阪へ行った。


都会の膨大な情報の中に身を置いた時、自分の所在無さが浮き彫りになった。

全てが激しく何かを発散していて、その中で、入ってくるたくさんのものに対して自分を保っている事が苦痛だった。

 

しかしその苦痛が、今になって思うと、境界線を初めて感じた瞬間だった。

剥き出しのままでは刺激が強すぎて、生きていられなかった。

自ら膜を作ろうとしたし、その中で身を守ろうとした。


私はやっと人間らしく、苦痛によって世界との隔たりを感じることができ、自分というひとつの、孤独な生命として自立したようだった。


今まで自分の感覚を打ち明けると疑心を向けられたので、

この苦しさこそは誰も疑うことができない真実だと思った。

苦しい一方で、その苦しさを尊いと感じた。

世界を閉ざしてその膜の中で感じる苦しみとだけ向き合い、それを目に見えるもの、実体のあるものにして証明する為、絵を描いた。

 

本当は自分が一番、目に見える、実体のあるものを欲していたのかもしれない。

 

20歳の時、同じように都会で居場所が無い人達が、平等に自由に居場所があると感じられるようにと願いを込めて、HOPEという場所を作った。


私の使命感はいつの間にか、抱え込んでいるうちに大きく膨らんで、自己犠牲的で傲慢なものになってしまっていた。

何かを守りたいと願うと同時に、何かを憎んでしまっていた。

本当に守りたいのは自分なのに、自分を過信してまるでひとりで何かのために戦っているかのように錯覚していた。

そんな未熟さでは何をやっても上手くいかず、パニック障害になり、2年でHOPEは終わってしまった。

 

日々のパニック発作は死んだ方が楽なのではと思うほどの苦痛と恐怖だった。

けれど何度も繰り返すうち、これ以上の苦痛と恐怖はないからもう何が起きたって大丈夫だと感じるようになった。


投げやりのようなその感覚に救われた。

恐怖に抗うことを辞めて、身を委ねてしまうと、苦痛や恐怖にも底があることを知った。底についたようだった。


そして振り返った時、希望しかなかった。



 息継ぎをするみたいに浮上し始めた。

深く潜ったから、少しの光でも大きな希望に思えた。

闇の中を潜って進んできた道は、そのまま希望への道筋となっていた。

全ては 繋がっていたのだった。

 

 

広島に戻り、自然に向かいもう一度自分の居場所に立ち返った時、自らが作った膜は徐々に溶け始めた。


再び世界を感じることができ、様々なエネルギーが風通し良く流れ込み、枯れていた細胞がみちみちと膨らむみたいに満ち足りていった。

竦んでいた足を伸ばして大地を踏みしめた。

 

そして、今度はその素晴らしい世界を、大地や光やあらゆるエネルギーがくれる希望を、目に見えるもの、実体のあるものにして証明する為、絵を描いた。

 

もう昔のようには色鮮やかに見ることはできないけれど、あの頃自然が見せてくれていたもの、自然から学んだことを、今一度感じながら、自我を捨て、感覚と一体となり、なるべく忠実に表している。

 

 

 

相変わらず世界は不平等に見えることもあるけれど、それは自分の見ている角度によるものであって、真正面から世界を見渡せた時、全ては完璧なのだと思う。


善と悪、陰と陽があって、どちらもがあるからこそ、生命はお互いに寄り添って、足りない部分を補い、支え合うことができるのではないかなと、今は思う。


支えてもらうことは感謝を生み、感謝は何かを返したいという思いを生む。

善と悪、陰と陽はいつでもひっくり返りながら支え合い、お互いに寄り添っている。


朝と夜が重なり合って時間を生み、植物は鳥や昆虫や天気に身を委ね頼ることで循環して、そういう支え合いがたくさんの生命を育てる。

 

全てはちゃんと何かの為に存在していて、何の過不足も無く、

"全ての存在が不可欠で尊い"  

というその一点こそが、

"平等である"  ということなのだろうと思う。


全ての生命が等しく自然に見守られていて、自然からの愛を受け取ることができる。

そして愛を受け取ることができれば、自身の中の愛にも気づくことができる。

全ての生命の中に、すでに愛は存在してる。




使命感というのは、純粋に何かを愛する気持ちであって、愛しているから何かを返したくなるという、本当はとても単純なものなのだろう。


私は自然から頂いた愛、″形の無いもの″を、形にして誰かに届けることで返していく。

それはいつかたくさんの人の愛を伝って自然に届く。


頂いて、返して、循環する。


今は届けるための場所 〈 器 〉 を形にしている途中。



きっと人間はこのまま人間らしく地を切り開き発展し続け、自然の循環から外れて新しい循環、社会を作り続けるのだろう。

そんな中で生きづらさや違和感を感じる人も、潜在的に増え続けるだろう。


それなら私は、私が自然から頂いた愛を伝え続けたい。

愛の器を広げていきたい。






周囲に否定され、いつの間にか自分でも否定してしまっていた小さい頃の感覚を、やっと自分で受け入れる事ができ、言葉にする勇気が持てました。

 

それは、沢山の学びと、きっかけをくださった素敵なご縁と、

私が描いてきた証明に深い興味と理解を示してくださった方たちが、疑心ではなく尊重をくださり、私が自ら受け入れる前に、受け入れてくれたおかげです。

 

 

 

感謝を込めて。